ロハスな環境とカルトの忌避 - アヴァンギャルド精神世界


ロハスな環境とカルトの忌避

◎人間本来の生き方を人前で公然と議論できない

武道にも黙想はあって、町にはヨーガ教室がたくさんある。大型ショッピングセンターにも、ロハスを標榜する自然食(オーガニック)屋さんも至るところにあって、パワー・ストーン屋さんもある。こうしたもののテレビ・コマーシャル、ネット・コマーシャルもいくらでも出て来る。

こうした恵まれた環境にありながら、人間本来の生き方を人前で公然と議論する風潮は全くない。

議論するには、同僚、隣人にはそれと察せられないように配慮して、場所を選んでしなければならない。日陰者の扱いである。

本屋によっては、フルフィルメント瞑想とか横文字瞑想本が平積みになっていたりするのだが、それでも冥想ブームなどというものではないように思う。

その原因の一つは、目的を持った冥想と目的を持たない冥想の意味を全く区別していなかったりすること。

また一つには、客の耳目を引くには、健康回復、ストレス解消、引き寄せ、願望成就などどうしても現世利益を看板に掲げないとならないという部分があること。

また一つには、習い事の常として、高い金を出せば、いい先生につくことができたり、金を積めば優れた秘密のノウハウを伝授してもらえるなどという先入観があること。そして、拝金主義の裏返しとして金を払うことで自分が本気になるという傾向も少なからぬものがある。

さらにもうひとつのファクターがある。人によって実体験できにくい、あるいは科学的証明のできにくいことは、なべて相手にされないという「科学的姿勢」である。

科学的検証、論証を否定すると自家撞着に陥りがちだが、最も科学的に動いていないものは自分自身の心理(表層意識・潜在意識)であることを無視して科学的議論をしているところはある。

意識論で言えば、意識は肉体で、七つの身体では、エーテル体以上が無意識。無意識は議論しづらい。

物質論でいえば、七つの身体で、肉体は物質、エーテル体は半物質、アストラル体以上は物質でない。科学は、半物質も非物質も対象にしていないので、科学にはなりえない。

こうした議論しづらいものには、2種あり、揺れ動いて常に変化し、いつかはなくなってしまうものと、永遠不滅のもの。

揺れ動いて常に変化し、いつかはなくなってしまうものとは、肉体からコーザル体まであり、肉体はせいぜい130年の寿命、エーテル体の寿命も肉体随伴だから同様。アストラル体からコーザル体は寿命は何万年なのだろうがいつかは滅する。

これに対して、アートマン(有)とニルヴァーナ(無)だけが、永遠不滅と言えるが、どちらも時間を超越しているので、便宜的に永遠不滅と言っているきらいはある。

そして別のファクターとしてそれは体験できるかということ。

肉体からコーザル体は、個生命であるから体験できるというか、何時でも体験している。だがそれを意識化、体感するには、それぞれを感得できるトランスという無意識状態に入っていかなければならない。
だがその手法は無意識のうちであるがゆえに科学的証明の手段はない。

アートマン(有)とニルヴァーナ(無)は、個ではなく全体なので、体験できるかどうかという点では、体験する個がいないので、それは体験とは言えない体験である。他者に対する証明は、他者自身がその「体験とは言えない体験」をすることしかありえない。

かくして、オカルト雑誌や目的のある冥想をやっているものは、大雑把にいえば肉体からコーザル体までを扱っているのに対し、まともな宗教あるいは純粋冥想だけがアートマン(有)とニルヴァーナ(無)を取り扱っている。

肉体からコーザル体までには人間的な苦悩と絶望からの根本的救済はなく、一時的改善、気休めあるいは単なる混乱にとどまる。それを求めるならば、アートマン(有)とニルヴァーナ(無)を目指すしかない。

そしてその冥想修行には師匠との出会いが必要だ。まともな師匠ほど金から遠いので、弟子による場所、食事、金の支援は必要であるものだ。だが師匠自ら高額の会費・月謝を求めるのは、徹底していないとはいえる。
(この点で、臨済録で、普化がご馳走を蹴り倒す逸話は参考になる)

そして、こうした純粋な求道グループであればあるほど、他人にまともな冥想修行グループであることを証明することはできず、
カルトでないというお墨付きを得るのも難しい。

ここに21世紀になるも依然として、まともな求道者ほど潜航せざるを得ない環境が厳然としてある。冥想・瞑想全般に対するオウム真理教事件の悪影響も無視できないものがある。状況は中国唐代に仏教廃止体制の中で禅修行せざるを得なかった禅僧たちと同じくらい厳しいかもしれない。

しかしながら、第六身体アートマン(有)と第七身体ニルヴァーナ(無)だけは、別格であるという説明を一般人にはしていかなければ突破口は開けないと思う。