中外日報インタビュー 徳川恒孝、山崎直子 抜粋

日本文化見直しを呼び掛ける将軍の子孫 德川恒孝さん(1/2ページ) - ほっとインタビュー:中外日報))

日本人の信仰をどう思いますか。

德川:日本の宗教は、 神様でも仏様でもどっちでもいいという感じで、あまり難しいことを言わないところが好きです。もちろん教義には難しいこともいろいろあると思いますが、南 無阿弥陀仏と言いたければ仏様のところに行くし、かしわ手を打ちたければ神様のところに行く。一つの家に仏壇があって神棚があり、至るところにお地蔵様が 立っていて、ちゃんと花が供えられている。身近なところではお風呂にも台所にも神様がいます。そんなおおらかな、いわゆる宗教というくくりでは収まりきら ない神様が日本にはいるんですね。

最近は神主さんのなり手がいないということで苦心されていますが、それでも皆さんが何とか神社を守ってい ます。やっぱり神社に入ると、清らかな感じがしますでしょ。神社の建物は筒抜けになっていて、風が通るようにできていますね。そんなすがすがしさが日本の 宗教にはあるような気がします。

東照宮の家康公には何を祈るのですか。

德川:何かしてほしいと願うようなことはありませんね。あえていうなら、漠然としていますが、日本が平和でありますように、ということを考えます。家康公が平和を願ったからということもありますね。今の日本の文化はほとんど江戸時代に築かれているんです。

外 国に行くと感じるのですが、金持ちと貧乏人の格差が大きい。貧乏人はほとんど人間扱いされないようなところがあります。江戸時代の日本を見てみると、大金 持ちもいるんですが、長屋の熊さんたちが決してうちひしがれていなくて、元気がいい。裁判では貧しい人も勝つし、多くの人が文字を読めた。

当 時そんな国は世界中になかったでしょう。もし殿様がひどい政治をすると、幕府から藩をつぶされました。だから善政を敷く殿様が多かったのですが、江戸時代 になる前から、武家の家訓の8割以上が民を大切にしろと教えています。民が富むことが国の富むことですから。士農工商という制度はありましたが、日本とい う国のベースに、みんな対等ですよという意識があったのだと思います。

幕末になってアメリカ人で初めて江戸城に入ったハリスは、殿様のとこ ろに行くというので金の房が付いている一番立派な服を着て行ったんですね。ところが城に入ってみると、家臣も将軍もみんな黒い着物を着て出てきた。城主は 臣下より飾り立てた服装をするものと思っていたので、誰が将軍か分からずびっくりしたといいます。

江戸時代の文化は明治以降、西洋列強に遅 れているとして低い評価しかされませんでした。日本はレベルが低くて西洋に追い付いていくのがいいということで150年きましたが、そんなに卑下すること はないと思うのです。西洋文明とは異質でしたが、決してレベルが低いわけではありません。むしろいいところがたくさんあります。

別に德川の 子孫だからこんなことを言うのではないのですが、各国を回ってきて日本人の温かさはどこから来ているのだろうと考えると、江戸時代にその基があるんじゃな いかと思えるんです。近年はそう考える人もだいぶ増えてきましたが、もっと様々な形で江戸時代文明、日本文化の良さを伝えていきたいですね。

江戸時代の宗教政策についてどう考えますか。

德川:キリスト教が禁止されましたが、それはやはり天皇制との関係からだと思います。歴史的事実は別として、天照大神から始まる神々が天皇家につながっています。キリスト教が入ると、その上にゴッドがくることになり、天皇家の権威がなくなってしまいます。

日 本は神の国であって、天皇家が象徴として国を治め、その下に幕府があるわけです。天皇陛下は政治に口を出さず、総理大臣以下がやるという今の体制と同じで すね。そこで天照大神からつながる家系よりキリスト教の神が上だとなると困るんです。それに、宣教と武器商人が絡んできてややこしくなってしまい、鎖国と いうことにしたんだと思います。

外国の宗教にも良いところが。

德川:もちろん学ぶべきところは多くあります。ニューヨークにいた時、教会でよく炊き出しをしていました。スーパーなどで賞味期限の近づいた食品が教会に送られることになっていて、無料で貧しい人に配られているんです。

日本でも売れ残って無駄になる食品は莫大な量があります。すでにそうしたことをしている寺院や教会はありますが、本山や宗派ぐるみで取り組むなどもっと大掛かりな制度ができて、それが定着していけばいいですね。

江戸時代につくられた檀家制度が崩れつつあります。

德川:檀 家制度は戸籍も寺院で管理し、行政の大きな部分が任されました。宗派のことなど何も知らないような人にも特定の寺院が決められたのですが、同時に檀家の悩 みや人生相談も引き受けて、寺院は人々の中で大きな位置を占めることになりました。おかげで今も各地の寺院には古い文書が残っていて、その膨大な記録は当 時のことを知る貴重な史料になっています。

今もお盆に寛永寺に行くとお参りの人でぎっしりです。しかし世の中が変わって、寺社の方々は護持 に大変苦労されていることと思います。最近は樹木葬や散骨がいいという人が増えたり、合葬墓にする人も多いですが、それは家というものが崩壊しつつあるこ とが大きいです。家は寺社を支えてきた柱でもあります。寺社の皆さんも努力しなければいけないのでしょうが、もう皆さんだいぶ頑張っておられます。その上 でさらにどうすればいいかとなると、難しいです。

 

打ち上げの時は加速の力がかかっているのですが、それがなくなって宇宙に到達し、ふわっと体が浮いた時に、どことなく懐かしい気がしました。それは私だけではなく、他にも仲間の同僚、宇宙飛行士も同じようなことを言っています。

体 が浮く感じが、胎内にいた時を思い出すのでしょうか。そういった感覚に近かったと思いますが、それだけではなく、大げさな表現をすれば、体の細胞の一つ一 つが喜んでいるような感じです。私たちの体はもともと宇宙のかけらでできています。宇宙のかけらやちりが集まって星が生まれ、地球が生まれ、私たちも生ま れ、だからそのような宇宙の138億年の歴史がどこかにずっと記憶というか、歴史のつながりとしてあるのだろうと思います。

体の中に宇宙の歴史が刻まれているということですか。

山崎:胎 児の成長もそれに似ているのではないでしょうか。最初は卵のようなものからしっぽが生え、魚から爬虫類のようになり、だんだん頭がしっかりしてきて哺乳類 になります。生物の進化を胎内で行っているともいわれます。そのような意味で、宇宙の歴史も体に刻まれているのではないかという気がしました。

さ らに言えば、私たちの体は60兆個の細胞からなり、一つ一つの細胞は皮膚であれば数週間ごとに入れ替わります。常に全く同じものではありませんが、一人の 人間の状態を保っています。宇宙と私たちの関係は似ています。60兆個よりも多い星の中で、私たちも生まれては命が尽きていきますが、宇宙はもっと長いス パンで存在し続けます。(宇宙から見れば)人間は一つの細胞ぐらいのちっぽけな存在かもしれません。ですが、一つの細胞がそれぞれの働きをすることで全体 の命をつないでいます。人間も地球や宇宙の関係性の中の一部だと考えられます。一人一人が一生懸命生きることで、命がどこかにつながっているのではないで しょうか。

宇宙にはまだまだ解明されない不思議なことが多いようですが。

山崎:昨 年、ノーベル物理学賞を受けた梶田隆章先生がニュートリノに質量があるということを突き止められましたが、それも分かっていなかったことですし、そもそも 宇宙の真っ暗な所は真空だと思われていましたが、最近は全く何もないわけではなく、ダークマターダークエネルギー、つまり暗黒物質などの未知なるもので 満たされているという説が有力になってきています。

最近、遺伝子工学や物理学の学者と鼎談させていただきましたが、宇宙や遺伝子などが偶然 にしてはものすごく良くできているという話になりました。サムシング・グレートのような何かしらの意志を感じざるを得ないと。科学技術が進歩し、遺伝子の 構造が分かってきても、そもそもなぜそこから生命が生まれてきたのか、最初の遺伝子は誰が作ったのか分からない。宇宙も同じで、まだまだ奇跡としか言いよ うのないことが多く、人知を超えた力に見守られているというような気がします。

ただ宇宙から戻ってきた時に、地球がこうしてちょうど良いバ ランスで、私たちが生きていられるのは大変ありがたいと感じました。だから人間同士が争うのはすごく悲しいことで、宇宙から見れば地球も本当に一つの宇宙 船。生物に弱肉強食はあると思いますが、せっかく文明を手に入れた人間が、争っていてはもったいないです。文明の力を前向きに、地球をより良くできるよう な方向に使えたらと願います。