こころの杖 -ゴリラは語る-

http://www.zuiryo.com/kokoro/201607.html より、心の温まるお話

 

ゴリラは語る
 

 ゴリラの研究を続けている山極寿一という学者さんが、大変興味ある話を本に書いているので、それをご紹介させて頂く。山極さんは二十六歳から六十歳になる今日まで、彼らが住むアフリカのジャングルにせっせと通い、ぞっこんゴリラにほれこんでしまった。研究を進めてゆくうちに、ゴリラがいかに穏やかで平和な動物なのか、また同時にゴリラを通してヒトという動物についても思うところが出てきた。そもそも霊長類という学問では、ヒトという動物はゴリラやチンパンジーなどの類人猿と同じ霊長目という種類に分類される。さらにゴリラと同様、アフリカ大陸の熱帯雨林で誕生したと云われている。ゴリラと人間は同じ根っこから生まれたのである。ゴリラを鏡にすることによって、ヒトとはいったいどんな動物なのかが見えてくる。

 ある日、突然の豪雨に見舞われ木の洞へ逃げ込んだ。すると雨宿りのためにタイタスと言う顔見知りの子供ゴリラが入ってきた。狭い洞は二人で身動きも出来ず雨が通り過ぎるのを待った。ほどなくするとタイタスは自分の肩にあごを乗せてスースー寝息を立て始めた。人間に飼い慣らされていない野生の動物が体を預けて眠っている。誇らしいようなくすぐったいような気持ちで一杯になった。さてゴリラの一日の過ごし方は朝起きるとまず食べ物を探す。あちこちに生えている植物、セロリ、アザミ、キイチゴ、甘い果物、アリなどの昆虫である。昼間は集団で移動しながらご飯を食べたり、レスリングをして遊んだり、昼寝をしたりして過ごし、夜になると木の枝や葉っぱ、草を丸くお椀状に組んでめいめいベッドを作って寝る。たいていはこんな風に穏やかでのんびりした一日を送っている。人間も彼らと同じ祖先を持っている。かつては当たり前のようにいろんな生きものたちと森で一緒に暮らしていた。だから敵と思えるような悪さをする動物たちとも共存出来る心を持っているはずなのである。ゴリラのフィールドワークをしていると、ゴリラのとっている行動には一つ一つ理由があり、ゴリラの間にはルールが存在していることがわかる。つまりそこに「ゴリラ社会」があると云うことである。実は人間以外の動物にも「社会」があるとわかったのは最近のことである。かつて屋久島の猿の調査をしていたとき、必死で猿の後をつけていると、我々には見えない猿の道があり、自由自在に歩き回りながら、猿たちが立ち止まるとそこに色付いた果実が豊かに実っていることに気づかされた。餌づけされた猿が騒々しく餌の争奪戦を繰り広げるのと違って、野生の猿は何とも言えず美しく、豊かな森の幸を自分で選び取り、おなかが満たされた昼下がりはまどろみ、夕日を横目にやがて夕方を迎える。一日の暮らしぶりは山や空や太陽の自然と美しい調和を奏でているようだった。
  またゴリラのフィールドワークで分かったことは、ゴリラは目と目を見つめて挨拶をするということだった。人間も同じように目と目を見つめて挨拶をする。「グフーム」はゴリラの挨拶、「コホッ、コホッ」は近すぎるなと云う警告、「ウアウ」は問い掛けの咆哮、またハミング、これは本当に歌うように声を発する。また「目は口ほどにものを言い」と言うように、ゴリラも感情は眼に表れる。人間も嬉しいときは目を輝かせるが、ゴリラは人間以上で、目の色が金色に輝く。また「グコグコグコ」という笑い声を出す。声を出しあいながらお互いの気分を伝え合い、相手と同調してゆく。このように次々に新たな発見があり、全く新しい世界が開けてくる。そして今まで見ていた世界がひっくり返るような出会いを経験するとき、それを「自然がほほえむ」という。そんなほほえみがゴリラの見方や、ひいては人間の見方に新たな視点を与えてくれるのである。
ゴリラは他の動物とは比べものにならないほど遊ぶ。好んでよくやる遊びは「レスリング」と「追いかけっこ」。後ろから相手の腰に手を置いてついて行く「ヘビダンス」、つるにつかまってブラブラする「ターザンごっこ」、みんなより高いところに立ってドラミンゴする「お山の大将ごっこ」等々多彩である。

  最初に木の洞で自分と一緒に雨宿りをしたタイタスは、家族は密猟者に襲われ、父親や沢山の友人を殺された。母親や姉さんは別の集団に移り、ようやく乳離れしたばかり四歳の時のことである。タイタスにとって人間は許せない敵のはず、にもかかわらず人間の自分を信頼して、無邪気に自分の肩にあごを乗せて寝息を立てていた。それは覚えていないからだろうと言う人も居るが、彼らの記憶はとても良いのである。それでもなお受け入れてくれる懐の深さ、彼らの持っているしなやかな力強さ故ではないかと思う。人間が自然の中で暮らすことを止めてしまった今、使われていない能力が沢山有る。頭で考える前に、自分の体が感じること、自分の体に聞いてみることを意識すると、これからどんな社会を作っていったら良いのかというヒントを見つけられるかもしれない。それには人間を映し出す鏡が必要なのだ。ゴリラはその良き鏡になってくれている。