(瑞龍寺)禅僧の徒然日記 2016.7.23

現代凡そ「つつしみ」とか「わきまえ」というものがなくなった。昔は良かったな~などと言うと、若い連中から、また年寄りはそんなことばっかり言うと非難 される。便利で効率的で良い面も沢山あり、日々我々老人も若者同様にこの便利さを享受しているのだが、一方で時間に追われてせかせか日々過ごしているよう な落ち着きのなさも感ずる。なかでも失われたものの一番は、「つつしみ」と「わきまえ」である。若い娘が電車の通路にしゃがみ込んで平気でパンにかぶり付 いているなどは論外だが、凡そ慎みがなくなった。これは天明寛政の頃の話だが、ある僧が木曽山中で馬に乗った。道の険しいところに来ると、馬子は馬の背の 荷に肩を入れて「親方、危ない」と言って助ける。度々なので僧がその故を問うと、おのれら親子四人、この馬に助けられて露の命を支えておりますゆえ、馬と は思わず親方と思っていたわっているのです、と答えたと言う。難所にかかると馬子が馬に励ましの言葉をかけ通しだったと記している。こう言う情愛は牛・ 鳥・犬・猫に到るまで及んだようだ。現代も犬や猫を可愛がる人は多いが、その情愛においてちょっと質が違うのではないかと思う。江戸期の日本人はこの男に 限らず、馬を始め全ての動物に対し、自分達家族と同等の一員と見なしていたようである。それは自らに対する「つつしみ」から出ていると言う点が、現代と大 いに違うのだと思う。

統合医療を普及する“お茶の水博士” 渥美和彦さん(88) 2016年6月22日付 中外日報(ほっとインタビュー)

人工心臓のパイオニアのお一人だと聞きました。

渥美東大医学部の外科に入局して人工臓器について学び、人工心臓について研究しました。1964年に医用電子研究施設の助教授、67年に教授となりました。

その間、65年には、365日間という、当時の人工心臓を取り付けたヤギの世界最長生存記録を樹立することもできました。

当初は人工心臓の研究を申し出たものの、人工弁への交換治療もままならない中でクレージーだと相手にされず、医学部での研究は許されず、工学部の先生の協力を得て研究していました。いろんな苦労があり、記録達成の時のことは今も忘れられません。

当時の競争相手はアメリカやヨーロッパの大学で、人工心臓開発を競っていました。

いよいよ世界記録の達成がなるかという瞬間に、「目に見えないもの」の力が、研究室にいた私たちを包み込み、しっかり守ってくれているのを感じました。

私、スタッフ、ヤギ、そしてその場にあった様々な機械。あらゆる存在が一つになって神々しい輝きを放っていました。今でも思い出すと、体が震えるほどの圧倒的な力であり、宇宙との一体感を感じました。

なぜ、最先端の医療研究から統合医療に。

渥美人工臓器以外にも、レーザー医学、医療情報学、医用サーモロジーなどの先端医学を研究・開発し、それらの各学会の設立および運営にも取り組みました。

研究に携わりながら、最新の治療技術を駆使するだけではなく患者の立場に立って、心と体の全体を見なければならないと思うようになりました。

西洋医学は必ずしも患者中心ではなく、医者中心、国中心に方向が変わっていっていたからです。

その頃、ちょうどソニー井深大さんの漢方研究を手伝うようになり、さらに日本学術会議の第7部会長を務めていた時に93年に渡米する機会を得、世界最大の研究機関の国立衛生研究所(NIH)を訪問しました。

アメリカでは鍼灸、漢方、マッサージ、カイロプラクティックなどが見直され、西洋医学と融合させた相補・代替医療の研究が進められていることを知りました。

また、チベットの医学に興味を持ち、5回ほど訪問して、現地でいろんな医療を学んできました。チベットでは、密教といいますか、宗教と医療が密接に関係しているのです。

2、3歳の時からお寺で仏教教育を施し、優秀な人が選んだ人が医者になります。チベットの医者は、仏教の素養をちゃんと持っているんですね。

他にも中国医学アーユルヴェーダも研究しました。これらの伝統医療は5千年の歴史があり、なんでそんなに長く続いているのかというと、意義があるからであり、それは患者中心の医療であるということです。

1998年に日本代替・相補・伝統医療連合会議を、2000年に日本統合医療学会を設立し、現在は統合医療を核とした未来健康共生社会の構築を目指しています。

統合医療についてもう少し詳しく教えてください。

渥美まず、医療の役割について考え直さねばなりません。世界に住む70億の人たちはそれぞれ存在意義を持っています。人間は、自分の幸福や夢を実現するという権利を持つとともに、自分を育む地球に対して貢献する義務があります。

その義務と責任を果たすためには、健康で長生きしなければならない。これが医療の目的で、つまり病気を治すだけでなく、人類が持っている目的を達成し得る環境をつくり、支えるのが医療の役目なんです。

では、統合医療とはどういうものかと言うと、患者中心の医療、心(精神・心理)と体のみならず、社会(環境)、霊性(魂)を含めた全体医療です。

治療のみならず、予防、健康維持、死ぬまでの包括医療ということになります。

西洋医学があり、伝統医学があり、相補・代替医療があり、心理科学、社会医学文化人類学、宗教学が融合したのが統合医療で、単なる医療じゃなくてむしろ人間学と捉えた方が良いかもしれません。

なぜ、空海なのですか。

渥美医療は体を癒やし、宗教は心を癒やします。ヨーロッパやアメリカに行きますと、キリスト教が中心で、病院の中に教会があったり、キリスト教と医療が密接な関係にあります。

し かし、日本では仏教がありますが、残念ながら仏教と医療というのは、一緒になったものがまだ少ないのが現状です。宗教界と医学界が交流し、宗教、医療が一 致して未来の社会をつくることが目的で、その手始めとして縁のあった真言宗の僧侶の皆さんと、空海記念統合病院の設立を目指すことになりました。

これからの医療のあるべき姿とは。

私は、未来の医療は必ず統合医療になっていくと考えています。

まず、これからは防災・予防医学が必要となります。災害が多い国なのに、日本の近代医学は災害にはあまり強くなかった。東日本大震災でも、電気、水道、ガスのライフラインが絶たれると、近代医学は機能しませんでした。

エネルギーを必要としない医療や、エネルギーを消費しない「エコ医療」が必要となってきます。

実際に、近代医学が無力となった時に、代替医療が被災者救済の役に立ちました。もちろん、病気を治してもらわねばならない患者さんも出てきますから治療医学も必要です。

もう一つは、自分の病気は自分で守るという「セルフケア」が重要になってきます。

私たちは、医者はいろんなことをやれる、やってくれると思っていますが、それは大きな間違いであり、やはり、患者が自分で自分を守るセルフケアが中心であって、健康が維持されるのです。

そのためには、健康を守るためにどうすればよいかを考えねばなりません。例えば健康食品でもヨーガでも何でもいいことをやる、そういうことをやって自分で自分の健康を守ることが非常に重要で、それに必要な健康産業も必要となってきます。

具体的な取り組みは。

渥美南海トラフ地震に備えて、防災について神奈川や静岡、愛知、徳島、三重などの県が防災センターを構想しています。ただ、利用が非常時の10年に1度ということで、自治体も予算を出しにくい面もあります。

そこで、防災だけでなく、防災・予防医学を同時にやるような総合防災センターになればいいと思い、現在、各県の知事に実際に会って協議しています。

通常時は高齢者予防医療センターとして活用すれば無駄にはなりません。

また、統合医療によるまちづくりとして、健康都市の構築や、国際統合医療大の設置なども計画しています。

お寺や仏教が死後の宗教という見方もまだまだ払拭されていません。生きた人をどう助けるか。生きる人に対する宗教として、宗教者の皆さんにも統合医療の普及に協力してもらえればと願っています。

瑞龍寺 こころの杖より

2002年6月 霊魂不滅
 
 ある人から霊魂は果たして不滅なのかという質問を受け た。たとえこの肉体は滅んでも自分の魂は残って子孫に伝わってゆく。今まで何とかやってこられたのは自分一人の力ではなく先祖のお陰である。このように人 間の思いは必ず滅せずに永遠に伝わってゆくと思うが、如何お考えでしょうかと言う質問である。私もこの質問をされた方と同様、日頃から先祖に守られている と感じることが多々あるので心情的には、「そうです霊魂は不滅です。」 と申し上げたいところだが、結論から言えばそんなものは何も無いと言わざるを得な い。
 私事で恐縮だが数年前母を九十三で亡くした。生前は神奈川の在所から遠い路を厭わず季節の変わり目には必ず寺まで出掛けてきては私の箪笥の中を入れ替え ていってくれた。古いものは丹念に繕い一シーズンで目茶苦茶になった中身を整頓して次の季節に困らないようにしてくれた。

「お前は一人身だから誰もやってくれる人が居ないから ね~。」「たまに来たんだからそんなに毎日繕い物ばかりしていないで何処か温泉にでも行こうか?」と誘うと、何時もここが一番良いと言ってせっせと繕い物 をして、それが済めばついっと帰って行った。そんな時ぽつんと「死んだらお前の側に居たいから何処かに骨を埋めてね。」と言っていたのを思い出し、願い通 り私の居屋の前 の椿の木の下に小さな観音石像を作り、今そこに眠っている。毎朝の勤行が済むと一本線香を立て短いお経を挙げる。何 処かへ出掛けたりまた帰った時には何時も、観音石像になった母に挨拶をしている。嬉しいときも困ったときも私の中には母が今も尚生きているのである。だか らこの質問の方と同様に私には母の魂が脈々と伝わっていると言いたいところだが、何も無いのである。ここのところをもう少し厳密に言えば有るといえば有る し無いといえば無いと言える。何とかこの伝えにくいものを伝える方法はないか考えているうちに、ふっとこんな歌が浮かんだ。〝惚れていりやこそ悋気もする が何でもない人何でもない″よく心を鏡に譬えるが、鏡はその通り裏実の姿を映しだす。赤い薔薇の花がくれば赤い薔薇の花を映す。汚い塵がくれば汚い塵を映 す。しかしそれらが去って行けば跡には何も残らない。つまり赤い花は有るがしかし無いのである。無いのだが有るという不思議なものがそのに在るのだ。姿、 形も無く一体何処にあるのかも解ら無いその正体不明なるものを無と言い、これをまた仏性とも言う。自分の中に何時もあって必要に応じて現れる。これは万人 が既に生まれたときから体に組み込まれているものなのである。
 そこで先程の話に戻すと、霊魂があると思うのは、つまりそういうふうに感じる自分がそこに在るということなのである。もうこの世には居ない母と私は毎日 お喋りもし相談もすると言ったが、それはそういう母を思う私という存在がそこに在るということなのだ。しかし鏡には本来何も無いのである。そこの道理をき ちんとわきまえていないと結局霊魂がまた新たな妄想を生み、その妄想のために自分ががんじがらめに縛られることになる。何物にも束縛されず本来自由である べき心の世界が誠に狭苦しく柔軟性を失ったものになってしまうのである。一つの観念に捉われ固まってしまった心は、心本来の姿ではない。
 以前こんなことがあった。或る婦人から悪霊に取り憑かれたので般若心経を壱千巻挙げて祈祷して欲しいと頼まれた。聞けば次々に悪いことばかり続くので或 る祈祷師に観てもらったところ、この土地の以前の持ち主の霊が取り憑いて、それが災いを齎らしているので悪霊払いの祈祷をしなければいけないと言われたと いう。

既 に三年以上も何回となく祈祷を続けてきて、その間莫大なお金を注ぎ込んだというから、これには驚いた。人生には良いこと悪いことが糾える縄のごとく繰り返 す。確かに短期間に限定してみれば、何故私だけこんなに不幸ばかり続くのだろうと暗い気持になることがある。しかし雨ばかり降り続くことが無いのと同様、 悪いことと良いことは相半ばである。それにもかかわらず自分の人生が悪いことの連続だとしか思えないのは、そのようにしか心の鏡に映し出すことが出来ない 自分の側に問題があるのだ。だから悪い奴に付け込まれまんまと大金を奪われるということになるのである。
 問題は無を知ることだ。結局何も無いということを知ることである。そしてもし自分の魂を死後も子や孫に伝えたいと思うなら、己の存在を超えたところにあ る見えざる命の繋がりを知り、感謝せずにはいられないような心を持った子孫を残すことである。全ては自らの心の投影なのだから。

瑞龍寺「こころの杖」ー魂

こころの杖 −魂−

今最も求められていることは本来の自分に帰るということである。では本来の自分の姿とは何か。それは魂と共に生きるということだ。静かに心と体と呼吸を整 えて太古の昔から細胞に組み込まれているリズムを呼び戻し、大自然と一体となって考え感じて生きることである。ちょっと観念的で解りにくいかもしれない が、二十世紀の科学は余りにも物質的なことばかりに目を向けすぎて、物質と物
質の間にある空間の価値を蔑ろにしてきたのではないだろうか。空気や水、或いは人と物質との間に存在するもの、これこそが重要な問題なのだ。おそらく二十 一世紀は今まで殆ど顧みられることのなかったこの〝空間〟に人が気づき、これと大自然の持つ哲理とを、いかに調和させてゆくかが最も大切な課題になるに違 いない。そこに〝安らぎ〟の原点が見つけられるのではないだろうか。

中外日報インタビュー 徳川恒孝、山崎直子 抜粋

日本文化見直しを呼び掛ける将軍の子孫 德川恒孝さん(1/2ページ) - ほっとインタビュー:中外日報))

日本人の信仰をどう思いますか。

德川:日本の宗教は、 神様でも仏様でもどっちでもいいという感じで、あまり難しいことを言わないところが好きです。もちろん教義には難しいこともいろいろあると思いますが、南 無阿弥陀仏と言いたければ仏様のところに行くし、かしわ手を打ちたければ神様のところに行く。一つの家に仏壇があって神棚があり、至るところにお地蔵様が 立っていて、ちゃんと花が供えられている。身近なところではお風呂にも台所にも神様がいます。そんなおおらかな、いわゆる宗教というくくりでは収まりきら ない神様が日本にはいるんですね。

最近は神主さんのなり手がいないということで苦心されていますが、それでも皆さんが何とか神社を守ってい ます。やっぱり神社に入ると、清らかな感じがしますでしょ。神社の建物は筒抜けになっていて、風が通るようにできていますね。そんなすがすがしさが日本の 宗教にはあるような気がします。

東照宮の家康公には何を祈るのですか。

德川:何かしてほしいと願うようなことはありませんね。あえていうなら、漠然としていますが、日本が平和でありますように、ということを考えます。家康公が平和を願ったからということもありますね。今の日本の文化はほとんど江戸時代に築かれているんです。

外 国に行くと感じるのですが、金持ちと貧乏人の格差が大きい。貧乏人はほとんど人間扱いされないようなところがあります。江戸時代の日本を見てみると、大金 持ちもいるんですが、長屋の熊さんたちが決してうちひしがれていなくて、元気がいい。裁判では貧しい人も勝つし、多くの人が文字を読めた。

当 時そんな国は世界中になかったでしょう。もし殿様がひどい政治をすると、幕府から藩をつぶされました。だから善政を敷く殿様が多かったのですが、江戸時代 になる前から、武家の家訓の8割以上が民を大切にしろと教えています。民が富むことが国の富むことですから。士農工商という制度はありましたが、日本とい う国のベースに、みんな対等ですよという意識があったのだと思います。

幕末になってアメリカ人で初めて江戸城に入ったハリスは、殿様のとこ ろに行くというので金の房が付いている一番立派な服を着て行ったんですね。ところが城に入ってみると、家臣も将軍もみんな黒い着物を着て出てきた。城主は 臣下より飾り立てた服装をするものと思っていたので、誰が将軍か分からずびっくりしたといいます。

江戸時代の文化は明治以降、西洋列強に遅 れているとして低い評価しかされませんでした。日本はレベルが低くて西洋に追い付いていくのがいいということで150年きましたが、そんなに卑下すること はないと思うのです。西洋文明とは異質でしたが、決してレベルが低いわけではありません。むしろいいところがたくさんあります。

別に德川の 子孫だからこんなことを言うのではないのですが、各国を回ってきて日本人の温かさはどこから来ているのだろうと考えると、江戸時代にその基があるんじゃな いかと思えるんです。近年はそう考える人もだいぶ増えてきましたが、もっと様々な形で江戸時代文明、日本文化の良さを伝えていきたいですね。

江戸時代の宗教政策についてどう考えますか。

德川:キリスト教が禁止されましたが、それはやはり天皇制との関係からだと思います。歴史的事実は別として、天照大神から始まる神々が天皇家につながっています。キリスト教が入ると、その上にゴッドがくることになり、天皇家の権威がなくなってしまいます。

日 本は神の国であって、天皇家が象徴として国を治め、その下に幕府があるわけです。天皇陛下は政治に口を出さず、総理大臣以下がやるという今の体制と同じで すね。そこで天照大神からつながる家系よりキリスト教の神が上だとなると困るんです。それに、宣教と武器商人が絡んできてややこしくなってしまい、鎖国と いうことにしたんだと思います。

外国の宗教にも良いところが。

德川:もちろん学ぶべきところは多くあります。ニューヨークにいた時、教会でよく炊き出しをしていました。スーパーなどで賞味期限の近づいた食品が教会に送られることになっていて、無料で貧しい人に配られているんです。

日本でも売れ残って無駄になる食品は莫大な量があります。すでにそうしたことをしている寺院や教会はありますが、本山や宗派ぐるみで取り組むなどもっと大掛かりな制度ができて、それが定着していけばいいですね。

江戸時代につくられた檀家制度が崩れつつあります。

德川:檀 家制度は戸籍も寺院で管理し、行政の大きな部分が任されました。宗派のことなど何も知らないような人にも特定の寺院が決められたのですが、同時に檀家の悩 みや人生相談も引き受けて、寺院は人々の中で大きな位置を占めることになりました。おかげで今も各地の寺院には古い文書が残っていて、その膨大な記録は当 時のことを知る貴重な史料になっています。

今もお盆に寛永寺に行くとお参りの人でぎっしりです。しかし世の中が変わって、寺社の方々は護持 に大変苦労されていることと思います。最近は樹木葬や散骨がいいという人が増えたり、合葬墓にする人も多いですが、それは家というものが崩壊しつつあるこ とが大きいです。家は寺社を支えてきた柱でもあります。寺社の皆さんも努力しなければいけないのでしょうが、もう皆さんだいぶ頑張っておられます。その上 でさらにどうすればいいかとなると、難しいです。

 

打ち上げの時は加速の力がかかっているのですが、それがなくなって宇宙に到達し、ふわっと体が浮いた時に、どことなく懐かしい気がしました。それは私だけではなく、他にも仲間の同僚、宇宙飛行士も同じようなことを言っています。

体 が浮く感じが、胎内にいた時を思い出すのでしょうか。そういった感覚に近かったと思いますが、それだけではなく、大げさな表現をすれば、体の細胞の一つ一 つが喜んでいるような感じです。私たちの体はもともと宇宙のかけらでできています。宇宙のかけらやちりが集まって星が生まれ、地球が生まれ、私たちも生ま れ、だからそのような宇宙の138億年の歴史がどこかにずっと記憶というか、歴史のつながりとしてあるのだろうと思います。

体の中に宇宙の歴史が刻まれているということですか。

山崎:胎 児の成長もそれに似ているのではないでしょうか。最初は卵のようなものからしっぽが生え、魚から爬虫類のようになり、だんだん頭がしっかりしてきて哺乳類 になります。生物の進化を胎内で行っているともいわれます。そのような意味で、宇宙の歴史も体に刻まれているのではないかという気がしました。

さ らに言えば、私たちの体は60兆個の細胞からなり、一つ一つの細胞は皮膚であれば数週間ごとに入れ替わります。常に全く同じものではありませんが、一人の 人間の状態を保っています。宇宙と私たちの関係は似ています。60兆個よりも多い星の中で、私たちも生まれては命が尽きていきますが、宇宙はもっと長いス パンで存在し続けます。(宇宙から見れば)人間は一つの細胞ぐらいのちっぽけな存在かもしれません。ですが、一つの細胞がそれぞれの働きをすることで全体 の命をつないでいます。人間も地球や宇宙の関係性の中の一部だと考えられます。一人一人が一生懸命生きることで、命がどこかにつながっているのではないで しょうか。

宇宙にはまだまだ解明されない不思議なことが多いようですが。

山崎:昨 年、ノーベル物理学賞を受けた梶田隆章先生がニュートリノに質量があるということを突き止められましたが、それも分かっていなかったことですし、そもそも 宇宙の真っ暗な所は真空だと思われていましたが、最近は全く何もないわけではなく、ダークマターダークエネルギー、つまり暗黒物質などの未知なるもので 満たされているという説が有力になってきています。

最近、遺伝子工学や物理学の学者と鼎談させていただきましたが、宇宙や遺伝子などが偶然 にしてはものすごく良くできているという話になりました。サムシング・グレートのような何かしらの意志を感じざるを得ないと。科学技術が進歩し、遺伝子の 構造が分かってきても、そもそもなぜそこから生命が生まれてきたのか、最初の遺伝子は誰が作ったのか分からない。宇宙も同じで、まだまだ奇跡としか言いよ うのないことが多く、人知を超えた力に見守られているというような気がします。

ただ宇宙から戻ってきた時に、地球がこうしてちょうど良いバ ランスで、私たちが生きていられるのは大変ありがたいと感じました。だから人間同士が争うのはすごく悲しいことで、宇宙から見れば地球も本当に一つの宇宙 船。生物に弱肉強食はあると思いますが、せっかく文明を手に入れた人間が、争っていてはもったいないです。文明の力を前向きに、地球をより良くできるよう な方向に使えたらと願います。