テレビはどうしてあんなにひどい内容になったのでしょう。
人がマスクするよりテレビにマスクして黙らせた方が
よほど人命が救われるのではないでしょうか。

放送法第4条
(国内放送等の放送番組の編集等)
第四条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
二  政治的に公平であること。
三  報道は事実をまげないですること。
四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
今のテレビのワイドショーをチラ見する限り、
この第四条は遵守されていないのではないでしょうか。
大げさな表現、偏った意見、恐怖を煽る内容が多いと思います。

私はテレビはほとんど見ることなく医学論文をよく読むほうなのでテレビを見ている人と論文を読む人の「コロナに対する認識の乖離」が大きいことを感じます。

論文やCDC、米国の大学からのデータを数多く読んでいると
今回の新型コロナウイルス
インフルエンザ程度にしか思えないのです。
(*???? 在英で英国始めヨーロッパの様々な医療専門家からの情報を得る限り、死亡率はインフルより高く、インフルエンザ程度と簡単に言えるものではないと思うのですが。)
 
日本で言えば
2009年の新型インフルエンザのパンデミックの時の方が
季節性インフルエンザと新型インフルエンザを合わせると
はるかに感染者数も死者数もケタ違いに多かったです。

あの時には新型インフルと季節性インフルのPCR検査については報道されなかったため
誰一人三密回避もソーシャルディスタンスも行いませんでした。
そのため、経済破綻もなければ、インフルエンザ関連死もなく医療崩壊も起こりませんでした。

それは、
厚生省がPCR検査を重症者と死亡者の一部だけに制限したこと
感染症法指定しなかったこと
そして
マスコミがあおり報道をしなかったこと
が理由です。

医療崩壊に繋がります。
は国民の恐怖と不安を煽ります。
 
(*同時に今回のコロナでは日本では国民がマスク着用、手洗い、三密を避けるなどを真面目にしているせいで新型コロナだけでなく、インフルエンザも通常より減っています)
 
話は現在の新型コロナに戻しますが、現在テレビを見ている人は「感染者数」に翻弄され、恐怖心や不安感が強くなり、正常な判断ができなくなった人もいます。
テレビの情報に動揺し、環境の変化に適応できなくなり、呼吸も浅くなり
動悸がするようになったり精神状態が自分でも気が付かないうちに変わってしまっている人も多いようです。
(*確かに。新型コロナが始まった春は日本に居ましたが、この今までになかった「症状が出なくても新型コロナにかかっているかもしれない」という不気味な感染症に、「もしかしたらかかっているかも?」と不安になり、呼吸が苦しいような気分になることもあった。病は気から、ともいうように、世界中を不安に陥れている。確かにマスコミのせいもあるかもしれないが、この新型ウイルスは未だなかった感染性の高いウイルスで不可解な部分も多いのは確かだ。)

SNSでも、コロナに関して怖くない人たちの発言に対して攻撃的な返信をよく目にします。
これも恐怖心や不安感からくるものでしょう。
 それで不安になってまたテレビのコロナニュースを見てしまいさらに不安になるという悪循環の繰り返し。
病院に行くのが怖くなり持病が悪化したり、病院も通常の診療に著しく支障をきたしてしまっています。

(中略)
何よりもPCR陽性というだけで、なぜか感染者扱いし、それが人の差別に繋がっていることは明らかです。

新型コロナの報道については意図的に不安と恐怖心を煽っているのは明らかで、多くの視聴者を不安にしたり、精神を病む手助けをしてしまっています。

そしてテレビの煽り報道が外出自粛につながり高齢者を守るという心に繋がることは素晴らしいことですが行き過ぎた外出自粛などにより多くの自殺者を出していることは
一切報道されません。

実際にコロナで亡くなる人よりも
自殺する人
精神を病んでしまった人
失業や倒産に巻き込まれて生活困窮している人
など
犠牲があまりにも多すぎる事態を招いていると思います。

(中略)

コロナよりも怖いのは
心の世界、想念の世界にもたらす影響です。

恐怖の波動は
多くの人が考えているよりも
実在世界に大きな悪影響を及ぼします。
 
私たちは、今よりももっともっと大きな視野ですべてのものごとを見ることが大切だと思います。自分が肉体だけで生きているなんていう、狭い視野に囚われないでください。

「禍や福の倚る所、福や禍の伏する所。たれか其の極を知らん」
これは老子の言葉です。

災いや幸福な出来事の背後にある真の価値は、表在意識では計り知れないという意味です。
病気にも不運にも、大切な理由があるはずです。
自分に何の落ち度もなく、病気になると思いますか?

こんな時期にあっても、健全な心身、健全な社会構造に作り替えるチャンスです。

テレビ見て不安になる時間あったら
瞑想してみませんか?
自分の健康にもっと気を使ってみませんか?

日常をもっとより良く変えるチャンスかもしれません。

せっかくのいい機会だし、
自分をより良く変えていきましょう。

自分が変われば、
世界も変わります。

であれば、
より良く変える道を選びましょう。

私たちはどんなものでもどんな状況でも、
有益なものに変容する力を持っています。
 
*コロナで変わったことの中で良かったことは、生活パターンが変わり、心身の健康、免疫力アップ、など再考する機械となり、ヨーガ、瞑想、坐禅など、始めるいい機会になったのではないでしょうか。
そういったことのオンラインが充実したことも良かったこと。
実際の坐禅会はキャンセルになっても、オンライン坐禅会がスタートし、近くにお寺がなくても、以前より気軽にできるようになったのではないでしょうか。
瞑想/坐禅で自己を見つめ、自己を把握し、自分も自分の外側もよりよくしていきましょう。