”ありがとう、すみません、お元気で”で生きる

 
これは、平成二十四年三月二十五日に、NHK教育テレビの「こころの時代」で放映されたものを「こころの時代へようこそ」というページ http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-mokuji.htm で掲載してくださったものです。こちらのページには貴重なインタビューが沢山掲載されてあります。感謝。
以下は河野太通老師のインタビューの抜粋です。
 
〝ありがとう、すみません、お元気で〟で生きる
 
                    妙心寺住職 河 野(こうの)  太 通(たいつう)
一九三〇年、大分県に生まれ。一九四八年、中津市の松巖寺で出家。一九五三年、花園大学仏教学科卒業、祥福寺僧堂で修行、山田無文老師に師事。禅文化研究所所員、花園大学非常勤講師、松巖寺住職を歴任し、一九七七年、祥福寺専門僧堂師家、一九九四年、花園大学学長に就任。二〇〇四年、龍門寺住職に就任、二〇一〇年、臨済宗妙心寺派管長、全日本仏教会会長に就任。著書に『独坐大雄峰』『白隠禅師坐禅和讃を読む』『親子でする坐禅と呼吸法』『〈無常のいのち〉を生きる』ほか。
                    き き て 中 川   緑
 

 中川:  私たちがこれから生きていくうえで、どういうことを心の拠り所にしていったらいいんでしょうか。
 
河野:  それは一番の拠り所は、自分自身ですよね。生まれながらにして、さっきからもっておるところの豊かな人間性ですよ。人格。これを仏教語では「仏心(ぶっしん)」と言っていますけどね。「仏心」と言ったり、「自性清浄心(じしょうしょうじょうしん)」と言ったりするんですけどね、こういったものが誰しも万人生まれた時からちゃんと持ち合わせておる。それが一番のたより。それ以外のものは頼りにならんというんですよ。それはそうでしょう。
 
中川:  生まれもった人としてのよいところというのを―豊かな人間性、それをどう調えたらいいんでしょうか?
 
河野:  それは自分が生まれた時のことをよく観察するということ。これを「内実知見(にょじつちけん)」と、私は言っているんですけどね。生まれた時のことを、事実を正直に観察する。掛け値なしに観察する。
 
中川:  どういうことですか?
 
河野:  あなた、生まれたでしょう。生まれてから一番最初に覚えていること、何を覚えていますか?
 
中川:  えぇっ!覚えていること?
 
河野:  記憶に残っていること、何か?
 
中川:  小さい時のことはあんまり覚えていないですね。怪我した時のこととか、最初の記憶ですね。
 
河野:  それ、いつ?
 
中川:  五歳ぐらいだったと思います。
 
河野:  五歳ぐらいね。自分がこの世に生まれてきてから一番最初に覚えていることを思い出して欲しいんですわ。私はこういうことを覚えているんですよ。乳母車に乗っている。乳母車に乗っていて、そして何かちょっと縁(ふち)に掴まって立ち上がったんですね。立ち上がった拍子に乳母車と一緒に地べたに放り出された、倒れた。その時に誰か助け上げられたんですね。それが誰かわからんけれども、そしてひっくり返って助け上げられたことを、私は覚えているんですよ。だから乳母車の縁に掴まってやっと立ったぐらいですから、一歳になるかならんかじゃないでしょうか。私は、人間というのは根本的には「亡恩(ぼうおん)の徒(と)」ですね。恩を忘れるという人間ですね。そういうことじゃないかなと思うんですね。それからそれならそれを思い出したところから、お母さんにどんなお世話になったかということを、あなた、ずーっとこう振り返ってみなさい。これを「内観(ないかん)」というんですけどね。「内観」―自分がずっとお母さんにどういうことをして貰ったか、ということをずっと今までのことをずっと振り返る。いろんなことで世話になっていますよね。子どもの時には朝起きたら着物着せて頂くことから、晩寝る時、脱ぐことからやって貰ったですね。それがだんだん大きくなるでしょう。そんならお母さんに今度、「してあげたこと、何かありますか?」ということ、これをまた観察してみます。そうすると、あまりないんです。して貰ったことばっかりで、ないんですよ。そういうことを思うと、それだけ大自然や父親母親に世話になりながら今日まで生きてきて、何かお返しをしたり、なんかしたことがあるのかということを問われると、「すみません」と言わざるを得ないですよ。「申し訳ない、すみません」と。何にもしていないと言わざるを得ないでしょう。そしてその前には、「ありがとう」ですね。いろいろお世話になって、ほんとに生まれた時から、ずっとおしめ替えることから、おっぱい頂くことからずっとお世話になってきたのに、何のお返しもしていない。「ありがとう」と同時に「すみません」と。そうしたらそれだけではすまない。ほんとに「すみません」と思ったら、なんかお返しをなんかしてあげたいなと。親孝行したいな、と思うですよ。この親孝行があんまりできないですよね。私も、世話になったということを自分で思うから、「なんかしてあげないかん、してあげないかん。そのうちに、そのうちに」と言っている間に死んじゃったですわ。私の母親は百二歳まで生きてくれたですよ。「そのうちに、そのうちに」と、百二歳で死んじゃったんですよ。そんなものですよ。そうしたら母親の代わりに世間の方々になんかお返しをしなければならないということになるんですよ。
 
中川:  さっきおっしゃった、「ありがとう」ということと、「すみません」という気持ち、
 
河野:  それから「お元気で」奉仕ですね、社会奉仕ですね。それだけのお世話になったのは、自分の父母だけじゃなしに、世間の人々、学校の先生とか、近所のおじさんおばさんとか、人間だけじゃなしに、動物―動物は今度殺して、肉、魚を食べていますよね。それから大自然の綺麗な空気、水、そういったものを頂戴していますから、そういった大自然に対する「報恩謝徳(ほうおんしゃとく)」と言いますが、そういったこと、人間をも含めた大自然にも対するお元気ですよ。お元気でね、という働きかけですね。これが人間を円満なる完成された人間にしていく三つの要素だというふうに、私は今言っているんですけどね。「感謝・懺悔(ざんげ)・報恩」ですね。これをわかりやすい言葉で言うならば、「ありがとう・すみません・お元気で」と。これが人間の望ましい三つの心の柱ですね。これを持ち続けることによって、自分も成長させて貰えるし、社会にもいい影響を及ぼしていくということだと思いますね。そういったことが今日では薄くなって、物事の便利さ、そして経済的な豊かさというものを第一に追求し求めていくというところに、人間の心を貧しくしていっちゃうということになっているんじゃないでしょうかね。
 
     これは、平成二十四年三月二十五日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである